大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和32年(ナ)1号 判決 1961年10月30日

原告 長沢兼文 外一名

被告 長野県選挙管理委員会

主文

原告等の各請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

第一、原告等訴訟代理人は、昭和三十二年四月二十八日施行された長野県埴科郡松代町、同県更級郡篠ノ井町境界変更住民投票は無効とする、訴訟費用は被告の負担とするとの判決を、予備的に、もし右請求が理由がないときは、昭和三十二年四月二十八日施行された長野県埴科郡松代町、同県更級郡篠ノ井町境界変更住民投票における賛成投票の結果は無効とする、訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、その請求の原因として次のとおり陳述した。

一、原告等はいずれも昭和三十二年四月二十八日施行の長野県埴科郡松代町、同県更級郡篠ノ井町境界変更住民投票の選挙人である。右住民投票においては有効投票の三分の二以上の賛成を以て境界変更賛成投票が成立したものとされたけれども、原告等は右投票の効力に異議があるので、同年五月十二日訴外松代町選挙管理委員会に対し異議の申立をしたところ、同委員会は同年六月五日右異議申立を棄却する旨の決定をしたので、原告等は同月二十五日被告委員会に訴願を提起したところ、被告委員会は、同年十月十二日右訴願を棄却する旨の裁決をなし、原告等は同月十九日右裁決書の送達を受けた。

二、しかしながら右住民投票は以下の理由により全部無効である。

(1)  本件境界変更に関する紛争は、昭和三十一年三月三日両派の話合が円満に成立したので終了し、本件住民投票の手続はその後紛争のないところに開始されたものである。すなわち、昭和二十八年頃から長野県更級郡旧西寺尾村においては、町村合併促進法による隣接町村との合併が企図され、同村を更級郡篠ノ井町へ合併するよりも埴科郡松代町に合併する方が遥かに地区住民の福祉を増進するという結論に達したので、昭和三十年三月五日旧寺尾村議会は同村と埴科郡松代町外二箇村との合併を議決し、同年四月一日旧西寺尾村は松代町に合併した。しかるに同村の通称川西地区(同村大字杵淵及び同西寺尾の内千曲川の西側に属する地域)の住民の一部に右合併に反対し右地区を松代町から分離して同県更級郡篠ノ井町に合併すべきことを主張する者(分町派)があり、同地区の住民が現状派と分町派に分れて紛争を重ねたが、昭和三十一年三月三日両派の間に次のような九項目の協定が成立した。

篠ノ井合併実施条件

(一) 保育園並びに小学校を永久に存置すること、

(二) 中学校は五箇年以内に松代とほぼ同距離に建設し、十学級以上のものとすること、なお三キロメートル半以上の通学生には交通費の半額程度を負担すること、

(三) 直通電話を開設すること、

(四) 支所を存置し住民の便を図ること、

(五) 道路を六メートル程度に拡張してバスの運行を図ること、

(六) 公共建物を買上げること、その際は住民に負担をかけないこと、

(七) 合併前の起債の負担については特に住民の同意を得ること、

(八) 国民健康保険を存続すること、

(九) 営農の機械化を強化すること、

以上のうち第三項から第九項までについては、三箇年以内に実施完成すること、但し、篠ノ井町において一項目たりとも受諾しない場合は異議なく川西地区が松代町に留まることを確約する、

右のように両派の意見が一致したので、松代町長及び同町議会議長は同年三月二十日附文書を以て篠ノ井町長及び同町議会議長にその受諾の可否を問合わせたところ、同町では右受諾に条件を附し実質的にはこれを拒否する趣旨の回答をした。仮に篠ノ井町長及び同町議会議長か右九項目を受諾したものであつたとしても、同町議会の議決がないから、その受諾は無効である。従つて前記協定の趣旨により、川西地区は異議なく松代町に留まることに確定し、ここに紛争は終了した。しかるに県知事は、右紛争終了の事実を知りながら、なお争議が終了しないものとして新市町村建設促進法第二十七条第一項の規定により漫然町村合併調整委員の調停に付し、その調停の結果に従つて住民投票の請求をしたものであるから、その調停及び住民投票の請求は違法であり、これに基く本件住民投票は当然無効である。

(2)  県知事が新市町村建設促進法第二十七条第一項を適用して調停に付することができるのは、行政上、生活上、経済上、すなわち地勢、距離、交通通信関係、教育施設その他の営造物の利用関係、風俗習慣、宗教姻戚、各種団体等の生活関係、産業取引、水利等の経済関係等諸般の事情から見て境界変更が関係地域の住民の福祉のため適当な場合に限るものである。しかるに本件においては、川西地区が篠ノ井町と合併することは、地区住民の福祉に反するだけでなく、篠ノ井町民の過重の負担を伴うものであつて、公益に反することは明らかである。従つて、これを無視し、漫然本件を前記法条所定の調停に付した知事の行為は当然無効であり、右調停に基く本件投票もまた無効である。

(3)  市町村の境界変更に関する住民投票については、新市町村建設促進法第二十七条第十一項により公職選挙法中普通地方公共団体の議会の議員の選挙に関する規定が準用され、公職選挙法第十九条の準用により、従前の選挙人名簿が住民投票の選挙人名簿となるものであるが、本件においては、住民投票以前に補充選挙人名簿の調製は行われなかつたため、昭和三十一年九月十五日現在を以て調製された基本選挙人名簿中松代町旧西寺尾川西地区に係る選挙人名簿が本件住民投票の選挙人名簿となつたものである。ところが松代町選挙管理委員会は、右基本選挙人名簿の調製を書記に一任し、その作成に当つた書記宮尾精一は、選挙資格調査表を戸別に配布して提出させただけで、これと住民票、配給台帳等役場備付の各種台帳との照合を行うことなく、この調査表に基いて基本選挙人名簿を作成した。仮に同書記が各種台帳との照合を行つたとしても、同人は、住民票配給台帳上他に転出している者で調査表上本件地区に住所を有するとされた者については、その者が引続き三箇月以来本件地区内に現実に居住しているか否かの調査を行わず住所要件不明のまま調査表を採用し、名簿を作成したものである。又松代町選挙管理委員会は、右名簿につき各委員が分担して一通り目を通しただけで個々の登録者の選挙資格につき調査することなく漫然名簿の決定を行つた。このような状況であつたから右委員会は本件住民投票を施行するに先だち急遽名簿登録者の選挙資格を実際に調査したところ、名簿調製時以前に各種台帳上明らかに他に転出したことになつている者のあることを発見し、これらの人々を含め合計二十三名につき表示を行つたが、同時に訴外三井嘉徳以下十名もまた名簿調製時前他に転出していることが判明した。これら十名の氏名、住所、転出年月日は左記のとおりであり、その住所転出年月日は本人又は家族の申立によるものであつたから、これらの者は元来名簿に登録してはならない人々であり、この事実からも、本件名簿調製に当つて資格の調査が行われなかつたことが明白である。

氏名    現住所                転出年月日

相沢迅  更級郡篠ノ井町大字布施高田       昭和三十一年九月十五日

成田静雄 広島県三原市本町一、五六三ノ一 谷口方 昭和三十年十二月

杵淵栄一 東京都中野区栄町一ノ五         昭和三十年九月一日

杵淵藤雄 更級郡更北村大字小島田         昭和二十六年十一月

杵淵正治 東京都中野区江古田町四ノ一、五七八   昭和二十九年

奥野貞夫 東京都新宿区戸山町四三         昭和二十八年十二月

轟恭平  東京都中央区              昭和二十九年

新保六郎 長野市西鶴賀一、五五六         昭和二十九年十月十八日

栗林実佳 川崎市生田四、九三六          昭和二十八年

三井嘉徳 北佐久郡浅科村大字八幡一五       昭和三十一年四月一日

以上のように本件基本選挙人名簿は、書記に調査作成が一任され、書記は適法な調査を行うことなくこれを作成し、委員会はこれを形式的に確認したに過ぎないものであるから、調製権限を有する松代町選挙管理委員会の職権調製に成るものではなく無効であり、これによつてなされた本件住民投票も無効である。

(4)  又、同委員会は、右のとおり本件住民投票を施行するに際し選挙人の選挙資格につき調査を行い、前記十名については名簿に登載される資格がないことないしはその資格が甚しく疑わしく、本件住民投票が行われることをあらかじめ予期し計画的に名簿に登録されたという疑を持つたにもかかわらず、故意に右十名に選挙資格があるとの決定を行い本件名簿を確定し、敢て名簿の表示を行わなかつたものである。右のように選挙管理委員会が故意に表示をしなかつた選挙人名簿は無効であり、これに基いてなされた本件住民投票もまた無効である。

仮に右選挙人名簿が無効でないとしても、同委員会の右措置は明らかに選挙の規定に違反したものというべく、従つて本件選挙人名簿は違法に調製されたものであつて、これに基いてなされた本件住民投票は、投票の結果に移動を生ずる虞のあるものであるから無効である。

(5)  右選挙管理委員会は、あらかじめ投票者には投票済之証を交付する旨公表していたため、分町派は、投票前一般選挙人に対し右投票済之証を特定の分町派事務所に持参するよう強要し、右持参の際選挙人の顔色を観察すれば分町賛成の投票をしたか否かが判明すると公表して選挙人の自由を圧迫し、よつて以て投票済之証の交付を自派に有利に利用しようとした。従つてかような投票済之証の交付は選挙の公正、自由を著しく阻害すること明らかであるにかかわらず、右選挙管理委員会は、その事情を知悉しながら、敢て投票済之証を投票者に交付したため、選挙人の多数は、あたかも同町選挙管理委員会と分町派との間に分町賛成投票の事実を確認するために投票済之証を交付する旨の合意があつて選挙の秘密を保持することができないかのように信じたため、分町派に有利な投票をなすに至つた。これは右委員会が分町派を直接又は間接に支援したものであつて、選挙の規定に違反し投票の自由公正を阻害したものであるから、本件投票は全部無効である。

(6)  投票所は、投票の秘密が充分保持できるように設備されるべきであるにかかわらず、本件投票所はその設備が不完全で、代理投票の補助者に選挙人が自己の意思を伝える際これを容易に第三者が聴き取ることができる状況であつた。例えば、選挙人長沢晃が代理投票をなすにつき投票所で補助者に自己の意思を伝えた際、他の選挙人中村ゆきよは長沢晃の言葉を容易に聞知することができた。このように投票の秘密を容易に犯されるような不完全な設備の投票所において行われた投票は、公職選挙法の秘密投票主義に反し、選挙の自由、公正を害する違法なものであつて、この違法は選挙の結果に異動を及ぼす虞があるから、本件投票は全部無効である。

(7)  新市町村建設促進法により準用される公職選挙法第二百五条第一項にいわゆる「選挙の規定に違反することがあるとき」とは、ただに選挙の管理執行の手続に関する規定に違反する場合のみに限らず、不法な選挙運動、選挙干渉、選挙妨害等が一定の選挙区又は投票区に亘つて全般的に組織的に行われ、その地区の選挙人又は投票人の自由意思に基く投票が著しく抑圧せられ、公職選挙法の理念たる選挙の自由公正及び投票の秘密に対する保障が阻害された場合をも含むことは、当然の理であつて、判例の夙に認めるところである(大審院昭和二十年三月一日判決、最高裁判所昭和二十七年十二月四日判決)。本件について見るに、川西地区は七つの小部落(杵淵、荒堀、中村、新田、北村、岡、神明)より成る広範な地域で、これら部落間の交通は比較的不便であり、住民の大多数は農業を営んでいるのであるが、分町派の有志は、早くから分町対策委員会なるものを組織し、公機関である篠ノ井町の指導の下に分町運動を推進しており、本件住民投票施行前である昭和三十二年二月二十二日頃右対策委員会を強化し、本部、渉外部、企画部、投票対策部、情報宣伝警備部、投票対策婦人部等を設け、川西情報という新聞を発行し、この組織の全力を挙げ、更に告示後は各部落毎に地区対策委員長を置き、右投票区の全域に亘り投票終了迄の間、大体以下に例示するような違法な行為をなし、全般的組織的に一般選挙人の投票の自由を著しく阻害したものである。分町派の行つた違法な投票運動、投票干渉及び投票妨害を例示すれば次のとおりである。

(イ) 分町派は、前記分町の条件である九項目の要求が篠ノ井町により拒絶され、たとえ分町しても到底右項目の実行は不可能であることを充分認識しながら、篠ノ井町会議員等と共謀の上、あたかも前記九項目の実現が篠ノ井町によつて受諾されたかのように装い、選挙人にその旨告知し、かつ縦三尺横六尺の木製の看板に右と同旨の記載をなし、本件地区内十数箇所にこれを掲示して、選挙人をしてあたかも本件分町が実現すれば右九項目は篠ノ井町の義務として当然履行されるもののように誤信させた。

元来公職選挙法にいわゆる選挙は代表者の選出行為であり、本件住民投票は選挙ではない。選挙の場合は、政党の政策は単に代表者選出のための参考となるに過ぎず、選出された代表者にはこれを履行すべき法律上の義務はない。しかるに本件住民投票は、投票者の法律上の地位の変更を直接の目的としている。篠ノ井町が右九項目を受諾確約しているということは、一面において分町により当然同町の法律上の履行義務を生じさせると同時に、他面分町により当然川西地区住民が右九項目の利益を取得することすなわちその法律上の地位に変更を生ずることであり、本件住民投票はこの法律上の地位の変更を目的とするものである。しかるに右九項目が当初から篠ノ井町により受諾されていない以上、本件住民投票により川西地区住民の法律上の地位に右のような変更を生ずる余地がないことになり、本件住民投票は投票の目的を欠くことになるものである。

仮に右九項目の履行が本件投票の目的といえないとしても、それは少くとも公の機関が分町のため絶対必要な事項として認めたものであり、それが実行されないとすれば山西地区住民の分町の意思の前提が失われることは明白であり、公益にも著しく反し、かつ一回的で右の公益違反が永久的に回復されないことになる。

以上のように投票者を欺瞞し、右のような重要な事項につき投票者を誤信に陥しいれたことは、選挙の公正を著しく欠き、かつ選挙人の自由意思の決定を著く阻害したものである。

(ロ) 分町派は、告示前後に亘り、選挙人の多数を部落毎に招集して、仮投票と称し「さんせい」の文字だけを幾枚も自書させ、仮投票の筆跡により本投票の筆跡と対照すれば何人が賛成したか明瞭に判定できると告知し、或は又各部落の分町派対策委員をして右仮投票の結果を分町派本部に報告させ、投票当日一票でも欠ける者があれば誰が裏切つたか判明すると告知して賛成投票を強制し、右仮投票の結果を集計して五百五票に達した旨マイクを通じて全地区農民等に公表し、

(ハ) 投票当日分町派多数が集合して、藍色で「川西分町実行委員会篠ノ井町合併貫徹」と、赤色で「団結」とそれぞれ染め抜いた鉢巻をしめ、地区内を隊伍を組んで往来して気勢を張り、

(ニ) 分町派は、本地区全般に亘り強制的に「分町誓約の家」と記載し「川西分町委員会」の印を押した縦約十五糎、横約二十五糎の木札を選挙人の各戸の出入口に掲示させ、これによつて分町賛成を強制し、

(ホ) 分町派は、昭和三十二年四月中旬頃より本件地区道路上の要所に人員を深更まで配置して選挙人の動静を監視させ、その自由を束縛し、

(ヘ) 分町派は、選挙人に威圧を加えて分町賛成投票をさせる目的で、多数の選挙人に「宿込み」と称して相互に他家に宿泊することを強制し、或は、部落毎に数箇所宛合計十数箇所に設置してあつた分町派の選挙事務所に強制的に合宿させたりなどして、選挙人と他人との交通及びその意思決定の自由を阻害し、

(ト) 分町派は、分町に反対する者に対し分町派勝利の暁には、反対派は住居の立退を求められ、税金の納入及び生業に不利益な取扱をされる旨言明して脅迫し、

(チ) 分町派は、松代町役場、小学校等に勤務している者その他分町に反対なことの明瞭な選挙人に対し、屡々、無効投票をなし又は棄権すべきことを強制し、もしくは「篠ノ井町に椅子を空けて置くから勤務替をせよ」などといつて利害誘導をなし、分町派選挙事務所に出頭を強要して賛成投票を強制し、現実に家の立退を強制し、或は村八分にする旨言明して脅迫し、

(リ) 分町派は分町賛成の投票を得る目的を以て、戸毎に選挙人を訪問し、偽瞞、強制、脅迫により分町賛成の署名をさせ、

(ヌ) 分町派は、投票当日投票場入口において、警察官の再三の注意を無視して、「サンセイ」と墨書した縦二尺横三尺位の木製プラカードを持ち、選挙人等に賛成投票を強制し、

(ル) 分町派は、税金不納同盟を結成し、分町実現の暁には松代町に対する滞納税金は支払う必要がないと全住民に宣伝し、農民等に対し財産上の利害を利用して誘導し、

(ヲ) 分町派は、文字の書けない投票人に対しては、分町派の附添人を定め、投票所に連行して賛成投票を強制し、

(ワ) 投票当日投票所入口附近において、分町派幹部中村正志等四、五名の者は、投票済之証を投票人から提出させ又は部落の対策委員長をして投票済之証を各投票人から強制的に集めて本部に提出させ、以て投票を強制し並びに投票の秘密を侵害し、

(カ) 分町派と意思並びに行動を共にした篠ノ井町川西対策委員会は、地区住民全般に対し、あたかも既に述べた九項目を篠ノ井町において実行するかのようにマイクを通じ宣伝し、又公然文書を全投票人に対して発送し、以て地区農民等を欺罔したものである。

以上のとおり、本件投票においては、不法な選挙運動、選挙干渉、選挙妨害等が投票区に全般的組織的に行われ、地区の投票人の自由な投票が著しく抑圧され、選挙の公正と自由とが没却されたものであつて、選挙の結果に移動を及ぼしたことは明白であり、松代町選挙管理委員会は、これらの事実を充分知りながら敢て自由公正な選挙を行うための措置に出でず投票をなさしめたものであるから、公職選挙法第二百五条第一項の規定によりその投票は無効としなければならない。

従つて以上いずれの点から見ても本件住民投票は無効であり、これを是認した被告委員会の裁決もまた違法であるから、本件住民投票を無効とする旨の判決を求めるため本訴に及んだ。

三、仮に原告等の右請求が理由がないとしても、本件住民投票においては選挙権を有しない者による多数の投票がなされており、その投票は本件投票の結果に移動を来たすものであるから、本件町村境界変更賛成投票の結果は無効である。原告等は冒頭に掲げた異議及び訴願において右の点をも主張したのであるが、これに対する決定及び裁決は、いずれも原告等の右主張をも排斥する趣旨のものであつた。よつて原告等は、本訴において、予備的に、本件町村境界変更賛成投票の結果を無効とする旨の判決を求める。

第二、被告訴訟代理人は、原告等の各請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とするとの判決を求め、答弁として、次のとおり述べた。

一、長野県更級郡旧西寺尾村が町村合併促進法の規定により昭和三十年四月一日同県埴科郡松代町と合併したこと、右旧村の内千曲川の西側に在る通称川西地区の住民中に、右合併に反対し右地区を松代町から分離して同県更級郡篠ノ井町に合併すべきことを主張する者(合併派)と、これに反対し現状維持を主張する者とがあつたこと、長野県知事がその争論は終了していないものとして新市町村建設促進法第二十七条の規定によりこれを町村合併調整委員の調停に附し、調停が成立したが、その調停においては当該地区の境界変更を住民の投票に基いて定むべきものとしていたので、知事はその投票を松代町選挙管理委員会に請求し、該委員会は昭和三十二年四月二十八日これを当該地域内選挙人の投票に附したところ、有効投票の三分の二以上の賛成を以て篠ノ井町に合併するを可とする投票が成立したこと及び原告等がいずれも右投票における選挙人であり、右投票の効力につき原告等主張のとおり異議の申立、これに対する決定、訴願の提起及び裁決があつたことは、いずれも認める。

二、しかしながら、右住民投票には原告等主張のような違法はなく、右住民投票は有効である。

(1)  元来知事が新市町村建設促進法第二十七条の規定により住民投票に関する請求をした場合には、その請求の適否当否を判断することは住民投票の争訟において本来許さるべきことではないのであつて、右知事の請求の違法であることを理由として本件住民投票を無効であるとする原告等の主張は、その主張自体理由がない。すなわち市町村選挙管理委員会は、法律の規定に基く知事の請求があるときは、右請求が法令に定める方式を満たす以上、法定の期間内に必ず賛否の投票に付さなければならないのであつて、右請求の適否、当否を審査することは許されていないのであるから、異議訴願においても、訴訟においても、知事の右請求の効力を審査することはできない。賛否投票は右請求に基いてする町村選挙管理委員会の行為に始まり、そして右投票の結果に関する不服の理由は、右投票が投票に関する規定に違反したかどうかに限られるべきであるから、右投票手続開始前の行為である知事の請求に関する事項を不服の申立の理由とすることは許されない。

仮にそうでないとしても、川西地区の分町問題が既に本件住民投票以前において終了していたとの原告等の主張は事実に反する。右分町問題は幾多の迂余曲折を経て本件住民投票により漸く解決を見たものである。すなわち川西地区は地勢上千曲川により松代町と隔てられ、唯一つの橋により交通ができるだけで不便甚しく、一方篠ノ井町とは地続きでこれと一体の水田地帯を成し、用水、農業技術その他営農上密接な関係があり、千曲川より東すなわち畑作地帯とは立地条件を異にしている。かような関係から、川西地区は篠ノ井町に合併すべきであるということは、旧西寺尾村が松代町に合併する前から同地区住民の間に強く主張され、それは決して単なる感情上のものではなく、松代町と利害を共同になし得ない客観的環境によるものであつた。それでこの問題については松代町との合併前昭和三十年三月十七日長野県会議員の仲介により、関係者間に、川西地区住民の大多数が篠ノ井町に境界変更を欲する場合においては合併後に協議の上境界変更の措置を講ずる旨の解決案が成立して、これを覚書に作成し、同月二十五日住民の投票を行つたところ、篠ノ井町に合併する案が圧倒的多数の賛成を得たにもかかわらず、元来分町に反対であつた松代町においては、その解決を遷延し、同年十一月六日に至り松代町議会において分町を否決するに至つた。この町議会の決議は川西地区住民を激昂させ、松代町理事者との間の対立は尖鋭化したが、昭和三十一年三月三日に至り分町派と反対派との間に原告等主張のような九項目に関する協定が成立し、松代町議会もこれを了承してさきになした分町否決の議決を取消し、両派の協定事項を議会の議決として篠ノ井町に申入れたところ、同町においては正式にその全部を了承し全面的にこれを応諾したのであるが、川西地区の分離を欲しない松代町側では、篠ノ井町の回答に疑義を述べる等なおも紛争を続けたので、松代町長は、同年三月三十日町議会に分町を前提とする篠ノ井町との両町協議会設置案を提出したが、否決されたため、同年四月三日辞表を提出するに至り、その後も川西地区住民の要望と努力にかかわらず、松代町側に反省の色なく、右九項目の実行も放棄され、紛争解決の見込が全くなく、そのまま放置することも許されない状況に至つたので、遂に知事は新市町村合併促進法第二十七条を適用しこの争論を調停に付するに至つたものである。

なお、たとえ過去にどのような経緯があつたにせよ、争論が現実に事実として存在している限り、同法の規定を適用してその紛争を解決すべきものであることは当然であり、過去に町議会の議決があつたからこれにより紛争は終了したはずであるという理由で事実上存在している紛争を無視することはできない。

すなわち知事が右調停に付した当時は現に争論が継続していたものであり、これを調停に付したことには原告等の右主張のような違法はない。

(2)  原告等は、知事が新市町村建設促進法第二十七条を適用したことが公益に反すると主張するけれども、前項に示したとおり、住民投票によつて永年に亘る境界変更の争論を解決したことは、いうまでもなく適切な措置であつて、これに関する知事の行為には、なんら非論すべきものはない。

(3)  原告等は、本件基本選挙人名簿は書記が適法な調査を行うことなく作成したもので、明らかに無資格者十名の誤載があり、到底その調製権限を有する松代町選挙管理委員会の職権調製によるものとはいえないから無効であると主張する。本件住民投票に用いられた選挙人名簿に原告等主張の十名の記載があることは認めるけれども、右名簿の調製の手続についてはなんら違法の点はない。本件基本名簿調製に当つては、松代町選挙管理委員会がその委員会を適法に開催し、独自の調査と判断と責任とにおいて合法的に調査の上登録調製し確定したものである。しかもなお右基本選挙人名簿には本来これに登載すべきでない無資格者奥野貞夫、轟恭平、栗林実佳の三名が誤載されたが、その他には誤載の事実はない。右誤載の事実を以て本件基本選挙人名簿全体が有効要件を欠いた無効な名簿であるとはいえない。法律はかような事態をも考慮し、この欠陥を補足救済させるため公職選挙法第二十二条及び同法第二十三条により一定期間の名簿縦覧及び異議申立期間を定め、選挙人に異議申立の機会を与え、誤登載や登載洩れその他記事事項の誤等を防止是正して選挙人名簿の調製の正確を期そうとしているのである。さればかような正規の縦覧期間を欠いた基本選挙人名簿であるとするならばともかく、正規の手続により調製し確定した本件基本選挙人名簿を以て無効ということはできない。

(4)  原告等は、松代町選挙管理委員会が住民投票に際し当然なすべき選挙人名簿の表示を故意に怠つた違法があるから右名簿は無効であると主張するけれども、そのような事実はない。同委員会は、自ら調査した結果に基き選挙人名簿に必要な修正表示をしたが、その内容は、死亡による修正五名、学生の住所移転による表示二十一名であり、原告等主張の三井嘉徳等十名については、その住所要件の認定につき客観的に調査し慎重審議の結果表示の必要がないものと決定した。それ以外に表示を故意にしなかつた事実はない。ただ具体的処理の場合において、特定の選挙人が果して選挙人名簿に登録される資格を有せず又は有しなくなつたか否かの判断は固より人によつて相違があり得るのであつて、本件でも松代町選挙管理委員会が表示の必要のないものと判断した前記十名の内奥野貞夫、轟恭平、栗林実佳の三名が、被告長野県選挙管理委員会の判断によれば無資格者であつて本来表示の必要があつたものであつたのであるが、このような誤があつたにせよ、松代町選挙管理委員会は、そのなすべき手続を履践し、その調査に基いて適法に選挙人名簿を調製し、その名簿は確定したものであり、名簿が一度び適法に確定した以上、それ以後において該名簿の不当なことを理由としてその無効を主張し選挙そのものの効力を争うことはできないのであるから、右表示の欠缺を理由に名簿の無効を主張し又は表示に関する松代町選挙管理委員会の措置の違法を主張し、これを理由として本件住民投票は無効であるとする原告等の主張は、理由がない。

(5)  原告等は、松代町選挙管理委員会が、あらかじめ投票済之証を交付することを公表しかつ実際にこれを交付し、これによつて分町派が分町賛成の投票を強要することに協力したと主張し、同委員会が右のような公表をなしその公表どおり投票者に投票済之証を交付したことは被告においても争わないけれども、同委員会は、分町派に協力又は同調するためにかような措置をとつたものではない。投票済之証の交付は今次住民投票の重要性に鑑み特に慎重を期するためにとつた措置であつて、かようなことは全国各地において極めて広汎に行われており、なんら異とすべきものではない。

(6)  投票所の設備においても原告等の主張するような不備はない。むしろ今次の投票所の設備は従前の選挙の時に比べて一層完全であつて、充分に投票の秘密を維持することができたものである。なお原告等の指摘する長沢晃は精神簿弱者であり、自己の生年月さえ充分に弁じない程度の者であつて、かような者は往々不必要に高声を発することがあるから、あるいは原告等の主張に類似するような事実があつたとしても、それは投票所の設備の問題ではない。

(7)  原告等は、本件投票において、違法な投票運動、投票干渉及び投票妨害が全般的に組織的に行われ、投票者の自由意思に基く投票が著しく抑圧され、自由と公正が全く没却されたと主張するけれども、そのような事実は全くない。又仮に極めて限られた部分において多少それに類似するような若干の事実があつたとしても、それは組織的全般的なものではなく、又それに伴つて脅迫、強制、圧迫などが行われたことはない。もとより分町問題の解決いかんは川西地区にとつて将来永遠の運命を決する大問題であり、同地区が今後松代町と運命をともにするか又は篠ノ井町と共同して将来の発展を策するかの分岐点であるから、賛否の争が相当に熾烈であり、昭和二十九年以来の分町運動等の経緯から感情的にも尖鋭化しており、双方が投票獲得の運動に熱中するに至るべき傾向は充分に考えられることである。しかしながら自由な投票を行えば分町反対の結果を生ずることが明らかであつたという原告等の主張にはなんらの根拠もない。双方の熱心な投票獲得競争があつたからといつて、そのために本件住民投票が投票の法的制約に外れ、選挙の自由公正を没却したり投票者の自由意思に基く投票が抑圧されたという事実は全くない。

住民投票に関しては普通の選挙の場合とは異り、現行法上投票運動がそれほど厳重に規制されていない。すなわち住民投票については、選挙運動の取締に関する公職選挙法の規定は、ただその一部だけが準用されているのであつて、原則としてその準用がない。換言すれば、住民投票の場合の投票獲得運動はその制限が甚だ寛大であつて、その自由性が普通一般の選挙の場合に比し遥に広汎に保障されているのである。これは直接参政としての住民投票の制度が代表民主主義に伴う欠陥を是正しそのもたらす弊害を取除くため地方住民に直接自己の意思を表示する途を与えようとしたことに由来するものであり、直接請求の制度とともに戦後における地方自治制度の特色の一つである。もし一般の選挙における選挙運動と同程度の規制を加えたのでは、住民投票の趣旨の徹底を期し難いので、住民の直接参政を契機として地方自治の認識をより深めようとする配慮から選挙運動の規制は自由公正を確保するために必要な最小限にとどめ他は挙げて自由とされているのである。原告等は、住民投票を一般選挙の場合と全く同一視し、しかも一般選挙における判例を引用してそれを住民投票の場合に当てはめ、違法な選挙運動、選挙干渉等により選挙の公正が害されたので投票は無効であると主張しているがそれは誤といわなければならない。

公職選挙法中の罰則は原則として住民投票にも準用されており、従つて罰則違反の行為の許されないことは、もちろんである。しかしながら、普通一般の選挙の場合においても、罰則違反の事実が多少あつても、それが直ちに選挙そのものの効力に影響を及ぼすものでないとする趣旨は、既に最高裁判所の判例によつて確定されているところである。その理は住民投票についても異ることはあり得ない。況んや事実問題としても、本件投票の場合には一件として罰則違反で検挙された事実はないのであるから、これらの点に関する原告等の主張は全く理由がない。

(イ) 請求原因二の(7)の(イ)に記載するような事実はない。すなわち、いわゆる九項目は一種の政治上の公約であつて、その実施は篠ノ井町の好意良心にまつものであり、現在の実施状況としては、保育園、小学校、支所、健康保険、直通電話、バスの運行、道路の改修等が、再建団体の篠ノ井町としては、非常に困難な条件の下で着々と実行に移されているのである。しかしながら原告等が主張するように、いまだ九項目が全部実施されたわけではない。九項目が即座に実行されないからとして欺瞞であるとはいいがたい。すなわち九項目は一般選挙における各党の掲げる公約に類似するものであつて、各党が選挙の際に掲げる政策が実行不可能かつ無責任のものであるか否かは、選挙人各自がその良識に訴えて判断すべきことであり、そのようなことは選挙の無効とは関係がないとせられていることであり(昭和三十一年二月十四日最高裁判所判決)、住民投票の場合についても同断といわなければならない。

(ロ) 原告等は、分町派が、仮投票を実施させ、賛成投票を強制し、仮投票の結果を公表したと主張するけれども、投票の方法を伝達した事実のあることが認められるに止まり、賛成投票を強制したり、仮投票の結果をマイクで放送した事実はない。

(ハ) 原告等主張の右同(ハ)記載の事実については、告示以前において分町派が鉢巻をしめていたことはあるようであるが、それ以外の事実はない。分町問題につき集団行動のようなものが行われたのは昭和三十三年四月一日だけであつてそれ以外にはなく、投票当日には集団行動は行われていない。

(ニ) 原告等主張の右同(ニ)記載の事実については、「分町賛成の家」と記載した木札を掲げた家のあることは認めるが、住民投票に際しては、文書図画の掲示は自由であり、木札を戸毎に掲示しても違法ではない。木札の掲示は住民の自由な意思に委ねられたものであり、これにより分町賛成を強制した事実はない。

(ホ) 原告等主張の右同(ホ)記載の事実については、多少それに類した事実はあつたかも知れないが明瞭でなく、それにより著しく選挙の自由公正を阻害したという程度のものは行われていない。

(ヘ) 原告等主張の右同(ヘ)記載の事実については、宿泊の行われた事実は認めるが、それは泥酔者の来訪を回避するためであつて原告等の主張するような理由によるものではなく、宿泊を指令強要した事実及びこれによつて投票の意思決定の自由が阻害された事実は否認する。

(ト) 原告等主張の右同(ト)記載の事実は否認する。分町反対派が分町派と稚蚕の共同飼育をともにしなくなつた事実はあるが、それは本件住民投票後任意に共同飼育から脱退したものである。

(チ) 原告等主張の右同(チ)記載の事実については、限られた一部住民に対し無効投票、棄権が要請された事実は認めるが、これによつて全般的に投票の自由公正が期せられなかつたとはいえない。

(リ) 原告等主張の右同(リ)記載の事実については、投票を得る目的を以て戸別訪問のなされた事実は否認する。狭い農村の地域社会において日常煩雑に他家と往来することは通例であり、それがたまたま投票日に接近した日時に行われたとしても、公職選挙法の禁止する戸別訪問に該当するものではない。

(ヌ) 原告等主張の右同(ヌ)記載のような賛成投票強制の事実はない。

(ル) 原告等主張の右同(ル)記載のような利害誘導の事実はない。税金不納同盟が結成されたことはあるが、本件住民投票と直後の関係はない。

(ヲ) 原告等主張の右同(ヲ)記載の事実は否認する。文盲者に対しては公職選挙法の定める代理投票の手続をとり、これを極めて厳格に管理したのであつて、原告等主張のような投票強制の事実はない。

(ワ) 原告等主張の右同(ワ)記載の事実については、投票済之証が何人かにより多少集められた事実はあるが、強制が行われたことはなく、又投票済之証を集めることにより投票の秘密を侵害したということはいえない。

以上のとおり原告等の主張は、法令の解釈を誤りかつ正確な事実に基かないものであるから理由がなく、本件住民投票は有効である。

三、なお本件住民投票において無資格者の投票が三票あつたことは認めるが、それ以上に無資格者の投票があつたことは否認する。右無効投票三票だけでは本件投票の結果に移動を来たすものではないから、この点に関する原告等の請求もまた理由がない。

第三、(証拠省略)

理由

一、長野県更級郡旧西寺尾村が町村合併促進法の規定により昭和三十年四月一日同県埴科郡松代町と合併したこと、右旧村の内千曲川の西側に在る通称川西地区についてはこれを松代町から分離して同県更級郡篠ノ井町に合併すべきことを主張する者(合併派)とそのまま松代町に留まるべきことを主張する者とがあつてその間に紛争があり、長野県知事はその争論が現存するものとして(実際に争論が現存していたか否かについては争があるが、当裁判所の認定は後述。)新市町村建設促進法第二十七条の規定によりこれを町村合併調整委員の調停に付し、調停が成立したが、その調停においては、当該地区の境界変更を住民の投票に基いて定むべきものとしていたので、知事はその投票を松代町選挙管理委員会に請求し、同委員会は昭和三十二年四月二十八日これを当該地域内選挙人の投票に付したところ有効投票の三分の二以上の賛成を以て篠ノ井町に合併するを可とする投票が成立したこと(もつとも本件において原告等は右投票の中に多数の無効投票が混入していたことを主張しているがこれに対する判断は後述。)及び原告等がいずれも右投票における選挙人で、投票の効力につき松代町選挙管理委員会に異議の申立をしたが棄却され、これに対し被告委員会に訴願を提起したがこれまた棄却され、その裁決は昭和三十二年十月十九日原告等に送達されたことは、いずれも当事者間に争がない。

二、よつて原告等が右住民投票を無効とする理由の諸点を検討する。

(1)  原告等は、本件住民投票の前提たる知事の調停及び住民投票の請求は町村境界の争論がないのになしたものであるから違法であると主張するのに対し、被告は知事の請求の当否は争訟において判断することを許されないと主張する。新市町村建設促進法第二十七条によれば、調停に基く住民投票においては、市町村の境界変更に係る争論が存在すること、知事がこれを町村合併調整委員の調停に付すること、これにより調停が成立しその調停において境界変更を選挙人の投票に基いて定めるものとしていること、知事が住民投票を当該市町村の選挙管理委員会に請求すること等がいずれも同条第四項の規定による住民投票の前提手続として要求されているのであるから、これらの手続の全部又は一部を欠き又はそれが法律上の効力を有しないときは、住民投票は無効である。選挙争訟においては、通常、選挙が無効となるのは選挙の管理執行の手続に関する規定の違背があつた場合であるとされており、前記のような前提手続に関する規定の違背は、厳格な意味では住民投票の管理執行の手続に関する規定の違背とはいえないけれども、右前提手続が法律上必要とされているのは、住民投票をなすべきか否かを決するにつき独断専行に陥ることを防ぎ真に必要な場合に限り公正に住民投票を行わせるためであるから、これに関する規定は単なる訓示規定と解すべきではなく、これに違背するときは住民投票は無効となるものといわなければならない。ただ、町村合併調整委員又は市町村選挙管理委員会が知事の請求の違法性を独自の見解を以て審査し知事の請求を拒否できるか否かは別の問題であり、これらの請求はそれ自体は独立に不服申立の対象となる処分ではなく、制度上その効力の確定を待つてはじめて次の段階の手続に進むことができるようにもなつていないのであるから、それが権限ある知事の請求したものでない場合等請求そのものの存在を否定しなければならない場合は格別、いやしくも権限ある知事の請求としての存在を有する限り、町村合併調整委員又は市町村選挙管理委員会に対する請求は請求と同時に効力を生じてこれらの委員又は委員会を拘束し、たとえその請求が違法又は不当であつても(又たとえ法律上は無効であつても)、町村合併調整委員又は市町村選挙管理委員会はその効力を審査して知事の請求を拒否する権限はないものと解すべきであるが、これは行政組織における権限分配の構造に基由し、町村合併調整委員又は市町村選挙管理委員会は権限ある知事によりその権限の行使としての形式を備えたこれらの請求を受けたときは、これを拒否することのできない行政組織上の職責を有する結果であつて、このことから直ちに知事のこれらの請求はそれ自体最終的であり、事後何人もその効力を争うことができないという結論にはならない。むしろこれらの請求の違法は、その請求の段階でその効力を争い取消無効の判断を受けることはできなくとも、これを前提としこれに基いてなされる次の段階以後の各手続をすべて違法ならしめ、後に法律上許された争訟の段階すなわち訴訟においてはその違法はすべて判断の対象となるものといわなければならない。従つて知事の請求の効力は訴訟においてこれを争うことを得ないとする被告の見解は採用できない。

そこで本件においては、知事が町村合併調整委員の調停に付した当時川西地区につき町村境界の争論があつたか否かの争点を判断しなければならないことになる。さきに松代町と合併した旧西寺尾村の内川西地区が本来の松代町とは千曲川を隔てて西側に存在するため、地区住民の福祉のためにはこれを松代町に合併するを可とすべきか篠ノ井町に合併するを可とすべきかにつき見解が分れ、松代町合併前から合併後にかけ両派の間に紛争があつたこと、結局昭和三十一年三月三日に至り両派の間に原告等主張のような九項目に関する協定が成立したことはいずれも当事者間に争がない。そして右争のない協定の内容を見ると、篠ノ井町において九項目の合併実施条件の内一項目たりとも受諾しないときは異議なく松代町に留まるというのであるから、篠ノ井町が右九項目全部を受諾した場合でも、そうでない場合でも、いずれにせよこれにより合併か否かが自動的に定まるようになつておりり、理論上は、篠ノ井町が右条件を受諾するか否かにより直ちに問題は解決し、殆んど後に紛争を残す余地がないように見えるのであるけれども、実際はそのとおりにならなかつた。すなわち成立に争のない甲第七号証ないし第九号証、同第三十八号証の二及び証人八田恭平、山岸保、金子安男、黒岩六郎の各証言によれば、昭和三十一年三月二十日付で松代町長及び同町議会議長より篠ノ井町長及び同町議会議長に宛て右九項目に関する協定の内容どおりの境界変更条件に、なお財産処分についての希望条件を付して受諾の申入をしたところ、同月二十四日付で篠ノ井町長及び同町議会議長より回答があり、それによれば、右九項目の条件には賛成し総て応諾するが実施の具体的計画は分町実施後に希望期間を参酌し地域住民と相談の上計画すべきである、財産処分についての松代町の希望条件については両町間の後日の協議に譲りたいというのであつたところ、松代町においてはこの回答に満足せず、回答の真意は九項目の応諾を拒否する趣旨であるとして分町の手続をなさず、松代町長において、右九項目の受諾による分町を前提としその実施方法を検討するための篠ノ井町との両町協議会を設置することを松代町議会に提案しなけれども、同議会においては分町そのものに反対のため右提案を否決し、一方川西地区住民の分町派からは、同地区の篠ノ井町編入を県議会に請願し、その審査中県議会に対し分町派及びその反対派より交々熾烈な陳情運動が行われ、紛争は激化して終熄しなかつたため、遂に知事が新市町村建設促進法第二十七条第一項の規定に基き昭和三十二年一月七日これを町村合併調整委員の調停に付したものであることを認めることができ、右認定を動かすに足りる証拠はない。そして右松代町の申入に対する篠ノ井町の回答の趣旨が九項目全部の応諾と認められるにせよ認められないにせよ、前記九項目協定の内容によれば理論上はこれで問題が解決するはずであるけれども、実際上はそのとおりにならず右のように篠ノ井町の趣旨を繞つて更に争を生じ、境界に関する紛争は事実問題として依然存在していたのであるから、このような場合には、たとえ分町反対派ないし松代町だけが主観的一方的に問題が解決したとの立場をとつていたとしても、なお争論の終つていないことは明らかであり、新市町村建設促進法第二十七条第一項にいう町村境界に係る争論がある場合に該当するので、知事が同法の規定に基きこれを町村合併調整委員の調停に付し、その調停の結果に従つて松代町選挙管理委員会に対し住民投票の請求をしたことを以て、争論がないのに調停に付し事後の手続を続行した違法があるとする原告等の主張は採用できない。

(2)  原告等は、川西地区を篠ノ井町に合併させることは公益に反するから知事がこれを無視して本件を調停に付したことは無効であると主張するけれども、本件分町問題に関する紛争が激烈で終熄しなかつたことは前示のとおりであり、これがため新市町村建設促進法第二十七条第一項にいわゆる「関係町村の一体性又はその相互の間の正常な関係が著しくそこなわれていると認め」これを調停に付した知事の裁量に違法があるものとは認め難く、右川西地区が篠ノ井町に合併するか否かは調停ないし住民投票があつて更に後に定まるものであつて、知事が調停に付する当時はまだいずれとも定め難いのであるから、原告等の右主張は全く当らない。

(3)  原告等は、本件住民投票の選挙人名簿となつた昭和三十一年九月十五日現在の松代町旧西寺尾川西地区に係る基本選挙人名簿は、その作成が書記に一任され、松代町選挙管理委員会自ら選挙人の資格調査を行つて作成したものではないから無効であると主張し、右名簿中に無資格者三井嘉徳以下十名の誤載があることを主張してその証左としている。しかしながら、成立に争のない甲第十号証、同第十二号証、証人塩野俊太の証言(第三回)により真正に成立したものと認める乙第十二号証の一ないし五、並びに証人塩野俊太(第一回ないし第三回)、宮尾精一(第一、二回)の各証言を総合すれば、本件住民投票に使用された昭和三十一年九月十五日現在による基本選挙人名簿は、松代町選挙管理委員会が同年十月一日その調整のための委員会を開き、職員を臨時に増員し、あらかじめ各部落に調査票を記布して所要事項の記入をさせ、これと役場備付の住民票、配給台帳及び既存の選挙人名簿等を照合し、疑問あるものについては問合せ、訪問等によつて個別に調査し、特に川西地区については紛争中であることを考慮しその地区の動態に明るい職員をして慎重に実情を調査させた上同年十月十日名簿確定のための委員会を開き、書記より前記のようにして調査した内容の報告を受け、同日午前より午後六時二十五分に至るまで各委員が夫々調査検討して名簿登載者を決定した結果同月三十一日までに調製され法定の縦覧手続を経て確定したものであることを認めることができる。成立に争のない甲第二十八号証の三(訴願理由追加書)には右認定と異り一部原告等の主張に添う記載があり、証人宮尾精一の証言(第二回)及び原告長沢兼文本人尋問の結果によれば、同号証の文案は宮尾精一が上司に命ぜられて作成したものであることが認められるけれども、同証言及び前掲各証拠に照し、その記載は真実に合致しないものと認められ、成立に争のない甲第十二号証によつても前認定を動かすに足りない。

基本選挙人名簿の調製は市町村選挙管理委員会が行うものであることは公職選挙法の規定するところであるけれども、その調査、立案の事務は所属職員に補助させて行わせることのできることは当然であり、これら補助機関による調査の結果を委員が審査して有資格者であると認めなんら疑問を生じなかつた選挙人についてまで更に委員が直接個々に自ら手を下して調査を重ねることは必ずしも必要でない。従つて前認定のような方法により調製された基本選挙人名簿は、これを松代町選挙管理委員会が調製したものであるというを妨げない。

原告等は、その主張の三井嘉徳等十名は選挙資格のないのにかかわらず松代町選挙管理委員会において資格調査を怠つたため選挙人名簿に登録されたものであると主張し、右名簿に原告等の主張する十名の選挙人が登録されていて、その内奥野貞夫、轟恭平、栗林実佳の三名が無資格者であつたことは被告も認めるところであり、そのほか、成立に争のない乙第七号証の三、同第十三号証の五、七、原告長沢兼文本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第三十五号証及び証人杵渕栄一の証言を総合すれば、右十名の内杵渕栄一は川西地区内居住の訴外杵渕精の実弟であるが、昭和三十年八月以来東京都中野区栄町の青果商松林勝方に雇われ同所に住込んで勤務し、盆、正月、祭礼等の際帰郷するだけで、本件投票当時の住所は右東京都中野区に在つたことが認められ、又前示乙第七号証の三、成立に争のない乙第十三号証の四、原告長沢兼文本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第三十六号証及び証人杵渕藤雄の証言を綜合すれば、前記十名の内杵渕藤雄も右杵渕精の実弟であるが、昭和二十四年頃から精方より約一里を隔てた更級郡更北村大字小島田の岡沢自転車店に雇われ、昭和二十九年には約定雇傭期間が満了したけれどもその後も引続き同店に住込み勤務し、養子に望まれてまだ決まつてはいないが同所を住所としていることが認められる。従つて右杵渕栄一及び杵渕藤雄もまた選挙人名簿に登録される資格がなかつたものということができる。前記十名の内相沢迅、成田静雄、新保六郎、三井嘉徳の四名については、成立に争のない乙第七号証の一、二、六、七、九及び証人塩野俊太の証言(第二回)を総合すれば、いずれも本件住民投票当時川西地区内に住所を有し投票の資格があつたことを認めることができる。結局本件選挙人名簿には、前掲五名の誤載があつたことになるところ、かような僅少の誤載があることは、誤載された者が投票をした場合の投票の効力につき問題を生ずるけれども、法定の手続を経て確定した選挙人名簿の効力に影響を及ぼすものではない。従つて右選挙人名簿が松代町選挙管理委員会の調製したものでないから無効であるという原告等の主張は採用できない。

(4)  原告等は、その主張の三井嘉徳等十名が選挙資格のないのにかかわらず松代町選挙管理委員会においては故意に名簿にその旨の表示を行わなかつたから本件基本選挙人名簿は無効であると主張し、右名簿に登録されている者の内奥野貞夫、轟恭平、栗林実佳、杵渕栄一、杵渕藤雄の五名が選挙権を有しない者であつたことは前示のとおりであるけれども、前出甲第十号証、同第十二号証、乙第十三号証の四、五、七、成立に争のない乙第十三号証の一、六及び証人塩野俊太、宮尾精一の各証言(いずれも第一、二回)を総合すれば、松代町選挙管理委員会においては、本件住民投票に先立ち基本選挙人名簿登録者の資格について調査した上名簿に必要な修正をなし、かつ無資格者についてはその旨名簿に表示を施したのであつて、右無資格者五名についても、雇主に照会してその報告を求め、転出先と疑われる市町村の選挙管理委員会に問合わせてその選挙人名簿に登録の有無を調査し、又本人もしくは代理人の出頭を求める等必要な調査を行つた上、その総合結果に基いて同委員会としては選挙権があるとの判断に到達したため名簿に無資格の旨の表示はしなかつたものであることが認められ、原告等主張のように、選挙権のないことが判明したものにつき故意にその旨の表示を回避したものであるとは認められないのみならず、そもそも公職選挙法施行令第十八条第二項による表示は、確定した選挙人名簿に無資格者の記載があつた場合に、投票事務処理の便宜上、選挙人名簿の記載そのものは動かすことなく単にこれに所要の表示をなすに止まるものであるから、たとえ同条第二項の規定に違反し所定の表示をしなかつたとしても、これがため選挙人名簿そのものの無効を来たすものではないと解すべきであり、原告等の右主張は採用することができない。

なお原告等は、仮に右選挙人名簿が無効でないとしても、右名簿に関する松代町選挙管理委員会の措置は違法であるから、本件住民投票は無効であると主張するけれども、右名簿の調製及び表示に関する松代町選挙管理委員会の措置は以上認定のとおりであつて、これを違法ということはできない。仮に原告等の右主張の趣旨が、選挙人名簿中に誤載者があり、その表示もしなかつたため投票時において無資格者を発見できず選挙権のない多数の者に投票をなさしめたことが選挙の管理執行に関する規定に違反し住民投票を無効ならしめるものであるというに在るものと解しても、本件において、選挙権のないのに投票を行つた者は後記のとおり五名であり、投票総数六百六十三票中この程度の無資格者の投票があつたとしても、それは個々の投票の効力延いて賛否投票の結果の効力の問題となり得るに止まり、住民投票それ自体を無効とするものとはいい難い。結局原告等の右主張は採用できない。

(5)  原告等は、松代町選挙管理委員会が投票者に投票済之証を交付することにより分町派が賛成投票を強要することに支援を与えたと主張する。右選挙管理委員会があらかじめ投票者に投票済之証を交付することを公表し、その公表どおりこれを交付したことは、被告の争わないところであるけれども、投票に過誤のないことを期するためかような投票済証を交付することは、法令に根拠がなくとも必ずしも違法の措置とはいい難く、松代町選挙管理委員会において、右のような取扱が選挙人の投票の自由を圧迫し分町派に有利となることを知りながら敢てその措置に出たというような事情を認めることのできる証拠はない。かえつて成立に争のない甲第十一号証、同第十三号証乙第二号証によれば、同委員会は投票の万全を期するだけのためにこれを交付したものであることを認めることができるので、この点に関する原告等の主張も理由がない。

(6)  原告等は、本件住民投票の行われた投票所の設備が不完全で投票の秘密を保持することができなかつたから、右住民投票は無効であると主張するけれども、成立に争のない乙第三号証、証人北沢守夫の証言により右投票所内を撮影した写真と認める甲第十四号証及び証人北沢守夫、宮沢清の各証言を総合すれば、本件住民投票に使用された投票所は一箇所だけで、松代町役場西寺尾出張所の建物内に設けられ、紛争の性質に鑑み特に慎重に設備されたのであつて、投票所内の投票記載場所はカーテンを以て他より遮断され、投票所内には投票者を一人宛入場させて、その者の投票が終るまで次の投票者を所内に入場させないような注意も払われ、投票の秘密はよく保たれていたことを認めることができる。もつとも証人宮沢清、倉田衛の各証言によれば、代理投票の場合投票者と投票補助者との間の打合せの声が高いときはそれがカーテンの外の投票所内に洩れたこともあること及び投票者の一人が投票所内で「賛成、賛成」と声に出していつたので投票管理者に制止されたことを認めることができるけれども、これがため投票所の設備が一般投票者の投票の秘密を保つに足りなかつたということにはならない。よつて原告等の右主張は採用できない。

(7)  原告等は、本件住民投票においては、賛成投票を得るためいわゆる分町派による組織的全般的に違法な投票運動、投票干渉等が大規模に行われ、一般投票人の投票の自由が著しく阻害されたから、右住民投票は無効であると主張する。

新市町村建設促進法により準用される公職選挙法第二百五条第一項にいう「選挙の規定に違反することがあるとき」とは、ただに選挙の管理執行の手続に関する規定の違反があつた場合に限らず、不法な選挙運動、選挙干渉、選挙妨害等が全般的組織的に行われ、選挙人の自由意思に基く投票が著しく抑圧されて公職選挙法の理念たる選挙の自由公正及び投票の秘密に関する保障が阻害された場合をも含むものと解すべきことは、原告等の主張するとおりである。よつて本件の場合がこれに該当するか否かにつき検討するに、成立に争のない甲第二十二号証、証人新保五一の証言により原本の存在及びその成立の認められる甲第二十四号証及び証人新保五一、長沢文平、中村正志の各証言を総合すれば、川西地区は、さきにも示したとおり当時の松代町の内千曲川の広い河原の西方に位置して一画を成した水田地帯の農村で、松代町の主要部へとは一箇の橋梁で繋がつているだけのところ、同地区内の七つの部落の住民中篠ノ井町に合併を希望する者によつて分町対策委員会なるものが組織され、昭和三十二年二月五日の大会でその組織は強化され、本部には、委員長、委員長代理、事務長、書記長、出納等を置くほか、企画部、渉外部、投票対策部、情報宣伝警備部、投票対策婦人部等を設けてそれぞれ部長を置きき、多数の部員をこれに属せしめ、川西情報という定期刊行物を発行し、各部落毎に対策委員会を設け、これらの組織によつて松代町より分離し篠ノ井町と合併する目的を達成するために活溌な運動をしていたことが認められる。そして

(イ)  証人窪田静雄の証言により本件投票当時川西地区内に掲出してあつた掲示板を撮影した写真と認められる甲第十五号証及び証人窪田静雄、田中正雄、長沢文平の各証言を総合すれば、分町派では篠ノ井町に合併した場合の川西地区の利益として前示九項目に掲げられているような事項を地区住民に説き、本件投票実施前右九項目の内の主要部分を記載した畳一畳大の掲示板を地区内数箇所に掲げていたことを認めることができるところ、右九項目の合併条件に関する篠ノ井町の態度は前認定のとおりこれを拒否してはいないのであつて分町派の説くところに或る程度の誇張を伴つていたとしてもそれは必しも架空の欺瞞行為であるとは認められない。

(ロ)  前出乙第三号証、成立に争のない甲第二十三号証の十四、十八、十九、乙第四号証及び証人新保五一、長沢文平、成田功、倉田衛の各証言を総合すれば、分町派では、本件住民投票実施に先だち、松代町選挙管理委員会の説明により、住民投票では境界変更すなわち松代町より分離して篠ノ井町に合併することを賛成、その逆を反対として賛否投票に付せられるので単なる賛成は分町に賛成単なる反対は分町に反対の趣旨となるということを知り、分町派がかねてから「松代町に留まることに反対」という表現でその主張を強調していた関係もあつて、自派に属する住民が投票の際混乱誤解に陥ることを防ぐため部落毎に自派の住民を集めて右の趣旨を説明し、部落によつてはその際「さんせい」と書くことを練習させた所もあり、これを「仮投票」と称した人もあつたこと、分町に反対の者は当然のことながら右の集まりには参加せずその集まりで「はんたい」と書く練習をするようなこともなかつたこと及び本件投票前分町派が賛成票数は五百二票である旨マイクで放送したことがあること等が認められ、

(ハ)  成立に争のない乙第五号証、証人窪田静雄の証言及び原告長沢兼文本人尋問の結果により本件投票当時撮影した写真と認められる甲第十七号証の一、二同第十六号証及び証人長沢文平、新保五一、窪田静雄、小山幸夫、滝沢学、成田功、小林利亮の各証言を総合すれば、分町派では「分町貫徹」と染め抜いた鉢巻を各部落に配布して自派の者に使用させたこと、なお分町派では本件住民投票実施前昭和三十二年四月一日に公安条例による届出の上一度及びそのほかに無届で一度、それぞれ川西地区内で右鉢巻を各自に使用させ、隊伍を組んで分町賛成者による示威行進をしたことを認めることができる。

原告等の主張するように本件住民投票の当日に右の鉢巻をしめ隊伍を組んで地区内を行進したという事実はこれを認めることのできる証拠がない。

(ニ)  原告長沢兼文本人尋問の結果により本件住民投票当時撮影された写真と認める甲第十八号証、証人長沢文平、三井茂、小山忠治郎、成田功、新保五一、窪田静雄、太田堯栄の各証言及び原告長沢兼文本人尋問の結果を総合すれば、分町派では本件住民投票実施の前年頃「分町誓約の家」と記載した木札を分町賛成者の見込数だけ各部落に配布して反対派の切崩しに備えたこと、その配布を受けた分町派の住民の多くはこれをその家の前面に掲出したが、中には分町派でありながらこれを掲げない者もあり、分町派もこれを掲げることを強制はしなかつたことを認めることができる。

(ホ)  証人長沢文平、宮林観蔑及び倉田貴夫の各証言によれば、本件投票前分町派の住民の中には反対派の切崩し運動を監視するため地区内に張込んでいた者のあることを認めることができる。しかしながらそれが分町対策委員会の統制の下に組織的に行われたものであるか否かは明らかでない。証人長沢文平の証言中右委員会の指令に関する部分はにわかに採用し難い。

(ヘ)  成立に争のない甲第二十三号証の八ないし十二及び証人田中正雄、田中ヨシ子、桑原利政、佐野勝、野沢正一、太田堯栄、丸山文男、新保五一、尾上甲子夫、斎藤善治の各証言を総合すれば、本件投票前分町派の田中正雄及びその家族が、分町に反対する知人の来訪や夜間酔漢のいやがらせに来るのを避けて数日間近隣の分町派部落事務所のある桑原利政方に泊りに行つたこと、分町派の太田堯栄もまた投票前反対派からの働き掛けを避けるため丸山文男方に数日間泊り、丸山文男は同様の理由で反対に数日間太田堯栄方に泊つたこと、両派の運動の激化するに伴い他にも類似の例があつたことを認めることができるけれども、前記各証拠によれば、田中正雄及びその家族の場合並びに丸山文男及び太田堯栄の場合は、いずれも自発的な意思に基いたもので分町対策委員会その他外部からの強制によるものではなかつたことが認められ、その他にそのような泊り込みが分町対策委員会の指令に基くものであつたということは必ずしも明らかでない。この点に関する証人長沢文平及び三井茂の各証言部分はたやすく採用し難い。

(ト)  証人宮林観蔵、斎藤善治、倉田貴夫の各証言によれば、川西地区内においては本件投票前より部落住民による稚蚕の共同飼育が行われていたが、本件住民投票施行後は分町賛成派住民と反対派住民との間の感情が阻隔したためこれを行うことが困難となり、両派各別に共同飼育を実施していること、その他桑苗の一括購入についても両派住民が共同歩調をとることが困難となつてきていること、なお右投票施行前においても既に部落住民の一部の間では稚蚕の共同飼育が困難となる傾向があり、その他住民の中には分町の賛否に関連して住居の立退を求められた例もあることを認めることができる。

(チ)  前出乙第三号証、成立に争のない甲第二十三号証の十五、十六、十七、二十、同第三十二、第三十三号証及び証人長沢文平、小山幸夫、小山節子、三井茂、丸田恵大、倉田貴夫の各証言を総合すれば、分町派に属する人々が川西地区内居住の国鉄職員小山幸夫やその妻松代町小学校教員小山節子に対し、相当強硬に棄権又は無効投票を強要し、これに応じなければ町有の住宅より立退かせるなどといい、又松代町役場に勤務する三井茂に対し、分町派に協力できないならば役場をやめるようにと迫り、丸田恵大に対し、分町後は篠ノ井町への就職を斡旋する旨を述べて暗に賛成投票を依頼し、倉田貴夫に対し、分町派に同調しなければ異端者扱いにすると告げた等のことを認めることができる。しかしこれらの者に対し現実に住宅の立退を強制し又は村八分にするという言葉で脅迫したことを認めることのできる証拠はない。

(リ)  証人宮林観蔵、斎藤善治、倉田貴夫、成田功、新保五一の各証言を総合すれば、本件投票前分町派に属する者の中に川西地区内の住民を訪問して分町賛成の投票を依頼したもののあることを認めることができ、なお特に投票依頼のためではなく他の用件で他の住民を防問したとき話題が分町問題に移り、分町賛成を勧めた分町派住民のあることも狭い地区内のことであるから当然予想されるけれども、特に分町対策委員会がその組織を動員して戸別訪問をなし分町賛成の署名を集めたようなことを認めることのできる証拠はない。もつともこの点に関する証人長沢文平の証言部分は採用できない。

(ヌ)  本件住民投票当日の投票所前の状況を撮影した写真と認められる甲第三十四号証には「さんせい」と書いた立看板風のものが写つており、これと証人窪田静雄、山口義昭、宮尾精一(第一、二回)の各証言とを総合すれば、当日その附近には賛成又は反対を表示した立看板式のものが立てかけられていたこと及び当時投票所附近に分町派の住民数名が集つており、その中にはプラカードを持つていた者もあつたことを認めることができるけれども、これらの者が投票人等に賛成投票を強制していた事実を認めることのできる証拠はない。

(ル)  証人中村正志、山崎武雄、斎藤善治の各証言を総合すれば、本件住民投票と直接の関係はない過去のことではあるけれども、川西地区が一時松代町より事実上の独立を策し税金不納同盟を結んだりしたことがあること及び本件住民投票当時分町派に属する住民の間から、篠ノ井町との合併が成立すればそれまで滞納していた地方税は松代町に支払う必要がなくなるという風聞が流れていたことを認めることができる。

(ヲ)  証人長沢文平の証言によれば、分町に賛成しようとする住民の内文盲の者のため分町派の者が投票当日投票所まで付添つて行つたことを認めることができる。もつともその者が投票所内まで同行して賛成投票を強制した事実を認めることのできる証拠はない。

(ワ)  前出乙第三、四号証、甲第二十三号証の十二、成立に争のない甲第二十三号証の二十一及び証人三井茂、山本義定、斎藤善治、新保五一、野沢正一、杵渕正久、成田功の各証言を総合すれば、本件住民投票当日自己の投票を済ませた者の中にその所持する投票済証を投票所前に居た分町派の者に渡した者があることを認めることができる。しかしながら分町対策委員会が指令して広範囲にそれを集めたという事実は前出甲第二十三号証の十八その他の資料によつてもこれを認めることができない。証人長沢文平の証言中この点に関する供述部分は採用できない。

(カ)  証人山崎武雄の証言により真正に成立したものと認める甲第二十、二十一号証、証人山崎武雄、小山幸夫、倉田衛の各証言及び原告長沢兼文本人尋問の結果を総合すれば、本件住民投票の施行の直前に篠ノ井町議会川西対策委員会の名を以て、篠ノ井町側から見た分町問題の経過や篠ノ井町と合併することによつて川西地区住民の受ける利益等を説明した文書が川西地区の住民に広く配布されたことを認めることができる。

右(イ)ないし(カ)その他以上認定の各事実及び既に挙示した各資料を通じて看取できることは、本件境界変更を繞る紛争が住民投票より遡ること数年に亘るものであつて、それが農村地帯の狭い一画内で日常顔を合わせ仕事をともにする農民の間におけるものであるから、元来は単純な利害衡量の問題に過ぎない筈にもかかわらず、深刻な感情の対立にまで発展し、地区内農民の殆んどが分町賛成派と現状維持派との二派にはつきり分れて互に抗争し、この紛争に終止符を打とうとするのが本件住民投票であつたから部落内の抗争はこの住民投票に集約せられ、分町派農民等がその結果を固めるためにとつた行動にはほとんど常軌を逸するに近いものがあり、しも反対派を説得できる余地もほとんどないので、分町問題に直接の利害関係が比較的薄いと目される学校教員や地区外への通勤者等の向背は深い関心の的となり、陰に陽にこれらの者に対する圧迫が加えられ、投票に至るまでの地区内の状況は相当険悪な空気をはらんでいたこと、ただこの分町問題につき松代町は分町に反対、篠ノ井町は賛成であつたけれども、住民投票については前掲(カ)の事実以外には両町のいずれの側からも投票に対する干渉や妨害は行われず、かつ県その他の機関による地区外からの働きかけの見るべきものもなく、概して地区内住民の内部だけで投票運動等を繞る抗争が行われていたこと及び住民投票当日は投票は平穏静粛に行われ別段混乱を生じたこともないこと等を明らかにすることができ、投票者中に他人の強制により自己の意に反する投票を余儀なくされたという自覚を持つている者のあることは認められない。

以上認定することのできた限りの事実関係についていえば、本件住民投票に際し行われた投票運動等の中には戸別訪問のように違法なものもあるけれども、それが組織的計画的に行われたため投票の自由と公正が著しく没却されたとまでは到底認め難い。従つて違法な運動干渉等により投票の自由と公正が甚しく没却されたため本件住民投票は無効であるという原告等の主張は採用できない。

結局本件住民投票は原告等の挙示するいずれの理由によつてもこれを無効とすることを得ず、これを無効とする旨の判決を求める原告等の第一次の請求は理由がない。

三、原告等は、仮に本件住民投票が無効でないとしても、右投票においては、選挙権を有しない者による投票が行われているので、本件境界変更賛成投票の結果は無効であると主張する。

本件基本選挙人名簿に登載されている選挙人であること当事者間に争のない者の内原告等が無資格者として指摘しているのは三井嘉徳等十名だけであり、本件投票当時右十名の内奥野貞夫、轟恭平、栗林実佳、杵渕栄一、杵渕藤雄の五名には選挙権なく、相沢迅、成田静雄、新保六郎、三井嘉徳の四名は選挙資格を有していたことは前説示のとおりであり、杵渕正治については、成立に争のない乙第六号証(投票受付簿)によれば同人は投票をなさず棄権したものと認められるから、その資格の有無をここで審査する必要がない。ところで前示甲第十号証(基本選挙人名簿)に従つて有権者として登録され修正や表示を施されず、本件住民投票に投票ができるようになつている者(前記無資格者五名を含む。)の総数を計算すれば六百六十七人となり、右乙第六号証によれば、投票実施の結果実際に投票した総数は六百六十三票であつたことが認められ、成立に争のない甲第一号証によれば、その内賛成は四百四十五票、反対は二百十六票、有効投票総数六百六十一票、無効投票二票と選挙会において計算されたこと及び右無効投票二票の内一票は実は有効で反対投票に数うべきものであり(そのことは訴願の結果明らかにされた。)、有効投票総数は一応六百六十二票となつたことを認めることができる。そして右乙第六号証によれば、当時投票資格のなかつた前記奥野貞夫等五名がいずれも当日投票用紙の交付を受けて投票をしたことを認めることができるからその投票は無効であり、この五票は右有効投票中に算入されたことが推定されるけれどもその賛否の帰属が不明であるから、新市町村建設促進法第二十七条により住民投票に準用される公職選挙法第二百九条の二の規定に従い右五票を賛成及び反対の各票数に按分すれば、賛成三、三六票反対一、六四票となり、これをそれぞれ賛成及び反対の各票数から差し引くときは、賛成四百四十一票六四反対二百十五票三六となり、右無効投票五票を差し引いた有効投票総数は六百五十七票であるから、新市町村建設促進法第二十七条第十項に定める三分の二の所要賛成票数は四百三十八票となり、従つて本件の場合は実際の賛成票数はこれより三票六四だけ超過することになる。よつて前記無効投票は本件投票の賛否の結果に影響を及ぼさない。従つて本件賛成投票の結果の無効を主張する原告等の予備的請求もまた理由がない。

以上のとおり原告等の請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担は民事訴訟法第八十九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 川喜多正時 小沢文雄 賀集唱)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例